ネパール後記

現地の目線で見えたこと

村人が私の持っている物に興味を示した以上に、私も彼らの生活すべてに興味をもちました。離れのかまど調理小屋、洗いものは家の外で灰をつけて木の皮でごしごし。食べ残しは家畜に。赤ちゃんももちろんおしめなどしていない。無駄なものは一切ない自然との共存。

 

 

今回役に立つかと思い日本から持参してきたものー軍手24組、結束バンド、布ガムテープ、ゴミ袋等々。軍手はトタンで配りましたが、それ以外は便利だと思っていたのに、なくてもいいものでした。彼らは工夫してトタンを束ねていたし、むしろ私の手にしているものが、すごく異質に感じられました。

 

仲良くなった子供達と日本から持って行ったシャボン玉で遊んだ時もやはり容器はプラスティック。異質と感じたのは、この自然豊かな山岳地帯にはどう考えても馴染まない物だったから。村には土に還らないものを持ち込んではならなかったのです。私達の暮らしの中にプラスティック製品がいかに多いものかと気づかされました。郵便ポストさえない村に、ゴミの回収などあろうはずもなく。支援する立場から、今後気をつけなければならないこと、現地へ行って見えたことでもありました。



カトマンズで

山奥とは一転、騒々しいカトマンズの街は自動車やバイクが多い埃っぽい街。都市でもヤギを散歩する姿、野良犬や牛の姿が道路に。この国では女性のほとんどが長い髪に民族衣装だったのも印象的で素敵だった。

ここでは1日の半分が停電だが、新しい家には水やプロパンガスもある。


それぞれの家庭でスパイスを調合して作るダルスープ(豆のカレー)がほぼ一般的な食事ご飯にかけて食べる。


しゃぶしゃぶしたカレーをみんな器用に手で食べるのには驚き。



街中には寺院が点在、小さなものから世界遺産規模のものまで。

ちょうど震災後2ヶ月だったが、観光スポットの寺院はくずれた瓦礫が残されたままで、建物は木の棒をつっかえにした状態で入場が再開されたばかりだった。

日本ではこんな危険な状態で近づくことすら考えられないが、バクタプルの街は廃墟のテーマパークのようだった。